「 東京裁判や“A級戦犯”は見せしめとしての日本断罪だ 今そのことを世界に説くとき 」
『週刊ダイヤモンド』 2005年7月23日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 601
ぜひ読んでほしい一冊がある。10年近く前に出版された『世界がさばく東京裁判』(佐藤和男監修、終戦五十周年国民委員会編、ジュピター出版)である。
佐藤氏は青山学院大学名誉教授で、法学博士である。「終戦五十周年国民委員会」副会長として「戦後、日本社会に巣食ってその骨髄をむしばみ、健全な国民精神を頽廃させてやまない」東京裁判史観の見直しと、東京裁判について世界の専門家の評価をまとめたのが同書である。同書は、国際社会の識者八五人に上る錚々(そうそう)たる人びとの東京裁判批判によって構成される。
ソ連封じ込め政策の立案者で、国際政治の権威、ジョージ・ケナンは1948年に来日し、マッカーサーの占領行政に驚愕し、「一見して、共産主義の乗っ取りのために、日本社会を弱体化するという特別の目的で準備されたとしか思えないものだった」(前掲書62ページ)と書いた。
彼はまた、東京裁判を厳しく批判した。「(東京裁判を成立させる)このような法手続きの基盤になるような法律はどこにもない。(中略)公僕として個人が国家のためにする仕事について国際的な犯罪はない。(中略)戦争の勝ち負けが国家の裁判である」(同62ページ)。
マッカーサーのアドバイザーを務めたウィリアム・シーボルド総司令部外交局長は、「本能的に私は、全体として裁判をやったこと自体が誤りであったと感じた。……当時としては、国際法に照らして犯罪ではなかったような行為のために、勝者が敗者を裁判するというような理論には、私は賛成できなかったのだ」と書いた。
役職上は東京裁判を支持し遂行しなければならない立場の人物でさえ、このように批判したのだ。彼は、同裁判が終わるまで再び法廷には戻らなかったのだ。
そして、このことはつとに知られているが、マッカーサー自身、東京裁判は誤りだったと告白している。それは50年10月15日、ウェーキ島でトルーマン大統領と会見した際の述懐である。また51年5月3日には、米議会上院の軍事外交合同委員会で、日本が戦争に突入した動機は「大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」とも述べている。『世界がさばく東京裁判』に集められた証言の数々は、東京裁判について国際社会、就中(なかんずく)、専門家は、「東京裁判こそ国際法違反である」と断じていることを示している。
ところが、同書の「あとがき」では心痛むことが指摘されている。同書をまとめるために日本の国会図書館などで文献に当たったところ、「意外なほど多くの外国人識者が国際法擁護の立場から東京裁判を批判し、世界的な視野に立って『連合国の戦争責任』を追及している一方、日本人研究者の多くが東京裁判を肯定し、日本の戦争責任だけを追及するという極めて自閉的な姿勢に終始していることを知った」というのだ。日本全体が東京裁判史観に染め上げられているのだ。佐藤氏らは、当初は日本の戦争をすべて侵略戦争として断罪した東京裁判批判によって、日本を精神的につぶした東京裁判史観を払拭したい、戦犯の汚名を着せられた一千余人の名誉回復を図りたいと考えていたという。しかし、東京裁判のあまりの無法ぶりを痛感するにつれ、「東京裁判によって貶(おとし)められた国際法の権威を取り戻すためにも、東京裁判は批判されなければならない」と考えるに至ったそうだ。
中国も韓国も、“A級戦犯”の合祀されている靖国神社に参拝してはならないと言う。私たち日本人は歴史を根幹から見つめ、東京裁判の無法と無効を論点整理し、今はむしろ、世界の法秩序と平和を守るためにこそ、東京裁判や“A級戦犯”が見せしめとしての日本断罪であったことを彼らに説いていかなければならない。